チーズは漢字でどう書くの?日本におけるチーズの歴史と、その味わいについても解説

世界地図

「チーズ」には長い長い歴史があります。どこを「チーズの起源」とするかは諸説ありますが、紀元前3500年ごろにはすでに誕生していたとされていて、昔から多くの人に愛され
てきました。

ここでは、人類ともっとも長い付き合いのある食品であるともいわれている「チーズ」を取り上げ、そのチーズが日本においてなんと呼ばれてきたのか、チーズと深
い関わりのある「蘇」とはいったい何なのか、「蘇」の味わいや新型コロナウイルス(COVID-19)との関係性について解説していきます。

目次

チーズを漢字で書くと「乾酪」となります

チーズは、海外から入ってきた文化です。チーズという文化が日本に入ってくるまでには、チーズ誕生の年から比べれば長い時間が必要でした。

また、日本に入ってきた後も「チーズ」という名称ではなく、ほかの名称がつけられていました(※チーズの歴史については後述します)。

さてこの「チーズ」ですが、これを漢字で書くと「乾酪(かんらく)」となります。「乾燥」の「乾」と、牛や馬、羊などの動物の乳から作られた飲み物である「酪」という言葉を組み合わせた表記です。

ただし「酪」にはそれだけで「チーズ、乳」の意味があるため、チーズの漢字として「乾酪」ではなく「酪」を当てても間違いではありません。

スポンサーリンク

チーズの歴史~「蘇」のたどった歴史とは

スイスの風景

上記では「チーズの漢字として、『乾酪』がある」としました。しかしSNSをしていたり、チーズについての情報を集めていたりする人は、「チーズを漢字で書いたら、『蘇』になるのではないか?」と疑問に思う人もいるかもしれません。実際に、「チーズ 漢字」で検索すると、その関連キーワードとして「蘇」が出てきます。

ここでは、この疑問に答えるべく、「そもそも蘇とは何であったのか、その歴史とは」について解説していきます。まずはその歴史から解説します。

蘇は、古代の日本で作られていた乳製品のうちの一種です。平安時代の医学書である「医心方(いしんほう)」に、この「蘇」の存在が記されています。

もう少し詳しく見ていきましょう。

チーズの歴史自体は、紀元前3500年ごろに始まったとされています(※諸説あります)。実は世界中で広く食べられていて、インドにも存在していたと考えられています。

このチーズ(の原型と考えられるもの)が日本に入ってきたのは、孝徳天皇の時代だったとされています。ちなみ孝徳天皇の即位期間は645年~654年で、日本の歴史上の分類では奈良時代にあたります。

この孝徳天皇は、現在の朝鮮半島に位置する百済の国の子孫「善那(ぜんな)」から乳製品の献上を受けます。このときの乳製品のひとつとして、チーズ(の原型と考えられるもの)があったと考えられています。このチーズ(の原型と考えられるもの)が、まさに「蘇」だったわけです。

チーズ(の原型と考えられるもの)はこれを機に、日本に徐々に広がっていきます。

897年に即位して34年間天皇の位にあった醍醐天皇の時代には、「貢蘇の儀(こうそのぎ)」が行われていました。これは、日本全国で作られたチーズ(の原型と考えられるもの)を醍醐天皇に献上する儀式でした。ちなみに「醍醐」という言葉は、「牛や羊の乳から作った甘い飲み物」という意味を持っています。

チーズ(の原型と考えられるもの)を重んじた醍醐天皇は、天皇としての自らの名前に、わざわざこの単語を持ってきたとさえいわれているのです。

そして、醍醐天皇が天皇の位を退いてから50年ほどが経った平安時代に、日本最古(※現存しているもの)の医学書「医心方」で、「蘇は、衰弱した体をサポートして、大腸の動きを良くして、口の中を健康に保つものである」と言及されるにいたったのです。

ただ、日本におけるチーズ(の原型と考えられるもの)はその後は、不遇の時代をたどることになります。雅やかな貴族文化が衰退して武家が台頭してくるようになると、貢蘇の儀は消滅してしまいます。またチーズ(の原型と考えられるもの)自体の存在も歴史の波間に消え失せ、これを作る人もいなくなってしまいました。

チーズ(の原型と考えられるもの)が、再び日の目を見たのは、「太平の世」であった江戸時代のことです。多くの人がその名前を知る8代目将軍徳川吉宗が再び酪農に注目、オランダ人より3頭の牛を手に入れて、その乳で乳製品を作り始めました。ちなみにこのときに作られたのはバターのようなものだったといわれています。

やがて、この考え方は日本でも広く受け入れられ、作られるようになっていきます。明治時代には北海道の開墾場で、アメリカ人エドウィン・ダンがチェダーチーズの製法を広めました。これにより今までは「チーズの原型と考えられるもの」であったのが、「現在のチーズ」のかたちに変わったのです。

スポンサーリンク

「蘇」についてより詳しく知ろう

上記では「チーズ(の原型と考えられるもの)」として、「蘇」を取り上げました。

それではこの蘇とは、どんなものだったのでしょうか。

蘇がどのようなものであったのかについては、はっきりとした記録は残っていません。ただ、「牛の乳をひたすら煮詰めていき、10分の1くらいの量になったときに得られる物体」であったと、平安時代の法律書に書かれています。

ここからは少し推測も交じりますが、このようにして煮詰めた牛乳をさらに乾燥させたものが、「蘇」であったのではないかと考えられています。

なおチーズは「発酵」の過程を経るものですが(※一部の例を除く)、蘇にはこの「発酵」の工程はなかったのではないかと考えられています。発酵は非常に特徴的な制作工程ですが、蘇の作り方を記したものにはこの工程が記されていないからです。

また、蘇は「古代に日本に存在した乳製品のなかで、唯一その製法が(不完全であるにしても)分かるものである」であり、かつチーズの原型とも呼ばれていますが、見た目としては練乳やクリーム、バターなどに近かったのではないかという説もあります。このため、おそらくは古代に作られていた蘇と現在のチーズは、味わいも形も大きく違うと推測されています。

ただ、蘇という存在が、日本のチーズの歴史を語るうえで欠かせない存在であることはたしかです。

スポンサーリンク

かつてのチーズ「蘇」、その楽しみ方について

このような歴史と特徴を持つ蘇ですが、これを一般庶民が口にできることはほとんどなかったと考えられています。

すでに述べたように、蘇は「牛乳を10分の1になるまで煮詰め、さらに乾燥をさせて作る」というものでした。現在のような機械もなく、食材自体も少なかったことが予想される奈良時代~平安時代において、このような作り方をする蘇は、庶民にとってはまさに「手の届かない高嶺の花」であったことは想像に難くありません。それほどに貴重なものだからこそ、「貢蘇の儀」として、わざわざ天皇に献上する儀式が存在したわけです。

蘇に代表される乳製品は、奈良~平安時代においては、貴族や皇族などの特権階級のみが味わえる特別な食材でした。奈良時代の首都であった平城京の跡地からは蘇及び牛乳の使用を示す書類(木簡)が出土していますが、このように、蘇はあくまで「特別な人のためのもの」だったのです。牛乳を得ることも難しく、それを煮詰める手間がいる蘇は、健康に良いとはされているものの、容易に手に入れられるものではありませんでした。

後述しますが、令和の現在はこの蘇を多くの人が楽しめるようになっています。

当時の貴族の気持ちになって、これを口に運んでみるのも良いかもしれませんね。

コロナの流行で再び注目?! 現在は蘇のレシピも出されています

さてこの「蘇」ですが、すでに述べた通り、その正確なレシピはすでに失われて久しいうえに、そもそも「蘇」という名称自体さえもごくごく限られた一部の人以外は知ることもないものに成り果てていました。

しかしこの「蘇」は、驚くべき運命をたどり、令和の世にその姿を現すことになります。

そのきっかけとなったのが、新型コロナウイルス(COVID-19)です。

2022年の現在は新型コロナウイルス(COVID-19)の影響も多少落ち着いてきていますが、これが人類史上に登場した2020年~2021年は非常に多くの産業がダメージを受けました。酪農もまた、ダメージを受けた産業のうちのひとつでした。学校給食がなくなり、飲食店も休店状態になり、酪農家は大量の乳をもてあますようになりました。

そのような酪農家たちがSNSのひとつであるツイッターで窮状を訴えたところ、多くの人が「牛乳を消費して日本の酪農を守ろう!」と動き始めました。

しかし牛乳は、それほど大量に飲めるものではありません。「液体」である牛乳の消費には限界がありますし、お菓子や料理に使うにしても大量の牛乳を消費しきることは難しいと思われていました。

そのようななかで注目を浴びたのが、失われたはずの料理であった「蘇」です。

牛乳を「10分の1までに」煮詰めて作る蘇は、牛乳を大量に消費したいと考える人にとってぴったりの料理でした。また、「昔は貴族しか食べられなかった」という事実も、多くの人を引き付ける要素でした。

すでに述べた通り、蘇の正式な作り方は分かっていません。しかし少ない手がかりを元に蘇を作ろうと試行錯誤する人が現れて、その人の調理工程を見ていた人がさらに改良を重ねた蘇のレシピを考え出し……と繰り返したことで、急激に「蘇の解像度」が上がっていきました。「#蘇チャレンジ」というタグが生まれたほどで、蘇はその誕生から1300年以上も経った令和の時代で突然脚光を浴びるようになったわけです。

「困っている人を助けたい」「昔はとても高貴な食べ物だった」「(令和の現在においては)手軽に手に入る材料で作れる」という3つの要素に、現在のSNS・インターネット技術が掛け合わされたことで、蘇のレシピが「確立」したのです。このような展開になるとは、きっと蘇を作りだした人たちもまったく予想しなかったことでしょう。

スポンサーリンク

市販品の蘇も売られています

このようにして、「一般家庭でも作れること」が知られた「蘇」ですが、それに先駆けて、この蘇を作り続けているチーズ業者も存在しています。ちなみに彼らは、新型コロナウイルス(COVID-19)の後の蘇ブームを受けて蘇作りにチャレンジした……というわけではなく、それ以前から蘇を作ってきています。

人によって感じ方に違いはありますが、古代の作り方を踏まえて作られた蘇は、現在のチーズ業者が作るそれであっても、「純然たるチーズ」とはまた異なった味わいを持ちます。「純然たるチーズ」に比べると味わいが素朴で、物によっては少しざらついた舌ざわりを示します。

キャラメルのようなほろ苦さと自然な甘みがあるのが特徴で、口に入れたばかりのときに覚える印象はそれほど強烈なものではありません。しかし噛み続けるごとに味が出てくるという特色を持っており、深い滋味を感じられます。

「ワインと合わせるチーズ」「おかずと合わせるチーズ」というよりは、「単品で楽しむ乳製品」「お菓子のように楽しむ乳製品」といった趣です。このような点も、現在のチーズとの大きな違いだといえるでしょう。

強い味わいがある食品ではありませんし、現在のチーズを食べなれている人にとっては少し物足りなさを感じる食品かもしれません。しかし現在のチーズにはない面白さや味わいが楽しめるのは、蘇ならではの特徴です。「家で蘇を作るのはなかなか難易度が高い」という人や、「家で蘇を作ってみたいが、まずは『正解』を知りたい」という人は、市販品の蘇から試してみてはいかがでしょうか。ちなみにその際は、複数の(市販品の)蘇を試してみると、より自分の好みや作る方向性が分かりやすくなるかと思われます。

令和に生きる私たちは、古代の人たちよりもずっとたやすく、ずっと安価に、さまざまなものを手に入れられるようになっています。チーズもまた、「たやすく、安価に、多くの種類を」手に入れられるもののうちのひとつです。しかしこのような時代が来たことも、またチーズという文化がここまで発展したことも、すべて先人の努力があってのことです。

その先人の努力に思いを馳せつつ、あえて漢字で記したい「乾酪」を味わったり、古代の貴人が楽しんだ「蘇」を作成・購入してみたりしてはいかがでしょうか。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
ワインとチーズの専門店フィアーノ

ワインとチーズの専門店フィアーノは、世界各国のワインやチーズを取り扱いしております。

家庭向けやギフト商品を中心にワインとチーズの相性を考えたセット商品に力を入れております。ワインはイタリアワインを中心にチリや南アフリカなどのワインを多く取り揃えております。

また、ギフトセットはご予算に合わせた組み合わせも承っておりますのでお気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

ワインとチーズの専門店フィアーノは、世界各国のワインやチーズを取り扱いしております。

目次